遠山氏、遠山友政公の魅力をあの方に聞いてみました!

ツイッターで遠山氏&苗木藩の歴史を伝える

遠山友政公なりきりアカウント中の人に

その魅力をお聞きしました★

 

2020年6月から遠山友政公のなりきり武将垢として活動している、遠山久兵衛友政様(@Toyama_kyuubei)。子孫の方の公認も受け、遠山家、東農地区の戦国時代について幅広く伝えています。

そんな友政公アカウント・中の人にネットでアンケートにお答えいただく形でインタビューさせていただきました!

 

 

―友政公のなりきり武将アカウントを作ったきっかけはなんですか?

遠山氏の魅力をより多くの人に知ってもらいたかった、というのが一番の理由です。あとは遠山氏に関して少し前の定説が最近の研究によって変化している(※)ことががあまり知られていないと感じ、最近の研究について広めていくことも目的になっています。

※(例えば、「武田氏の配下から織田氏の配下になった岩村城を武田軍の秋山虎繁らが攻め、岩村城の女城主・お艶の方が秋山虎繁と婚姻することで岩村城が開城した」とされていましたが、近年の研究で「岩村城内の武田派の遠山氏が自力で武田氏配下に復帰した」とされています。)

 

―苗木城跡の魅力はなんですか?

苗木城跡の魅力は巨石を利用した石垣だと思います。岩山という制約された地形に石垣や懸造りを利用して土地を確保したお城というのは中々ないので魅力を感じます。

 

―遠山氏、友政公の魅力はなんですか?

遠山氏の魅力はしぶとさですね。これは友政公の魅力とも言えるのですが、大勢力の間で立ち回り、居城を追われても取り返す強さが魅力かなと思います。

友政公はその中でも明治まで苗木遠山氏を大名として存続させる礎を築いた人物なので個人的に遠山氏の中でも一番凄い人物だと思っています。

 

―遠山氏の資料で一番驚いたこと、面白かったことを教えてください。

苗木遠山史料館に常設展示してある遠山直廉制札です。代替わりして新しい支配者(直廉)になったことを示すもので貴重な史料なのですが、この史料が発見された(江戸時代)ことで直廉の養父・正廉の存在が否定されてしまったということがあって(正廉は直廉の誤記なのではという考えになってしまった)、正廉公かわいそうだなと思いました…

同時に、一つの史料で一気に歴史が良くも悪くも変わってしまうというのは勉強になりました。

 

―今後やりたいことはありますか?

これまでは天正年間の遠山氏について詳しく紹介してきたのでもう少し時代を遡ったり、江戸時代の遠山氏についても触れていけたらと思っています。

 

 

~あとがき~

余談になりますが、当方の子供の頃は苗木城は「城山」と呼ばれて整備もされておらず、あのような見事な城跡があるなんて思ってもいませんでした。

友政様がおっしゃる通り、遠山友政公は、苗木に還ること、次の世代に残すことに対する信念がすさまじい方だったと思います。

中津川の素晴らしい財産になっている遠山家の歴史、もっと知りたいです。

 

友政様、ありがとうございました!